2016年10月13日木曜日

レイテのOMOTENASHI

地域:東南アジア
国:フィリピン共和国
テーマ:戦争、日本、外から見た日本


この写真を見てください。


どこの国で撮影されたか分かりますか?
ヒント:みなさんに身近なところでいうと、バナナで有名かもしれません。



答えは、フィリピンのレイテ島で撮影されたものです。
実は、この人はボランティアの佐保さんです。
彼が日本人だということに気づいていましたか?


さて、何をしているところでしょう?

トゥバ(ヤシから作られたお酒)を飲んでいます。
仲よさそうにしていますね。


ところで、レイテ島という名前、どこかで聞いたことはありませんか?
実は、第二次世界大戦の激戦区の一つとして非常に有名です。
もし、知らなかったという人はインターネットなどで「レイテ島」で検索をするとたくさんの情報が出てくるので、どれほど有名かがわかると思います。

多くの人が亡くなったレイテ島。

戦争が終わった後、日本人が島に渡った時に日本を憎む現地の人から石を投げつけられたりしたというエピソードも耳にしていたので、写真に写っている佐保さんは、自分がレイテ島へボランティアとして行くことがが決まった時、もしかしたら辛い思いをするかもしれないと覚悟をしたそうです。

しかし、そんなことはなく、とてもよくしてもらったとのこと。
実際、写真に写る佐保さんと現地の人はとても仲良く、楽しそうです。

直接はっきりと聞いたわけではないけれど、どうやら現地の人は《過去のことは過去のこと、現在の日本人(佐保さん)には罪はない》といった考え方で自分をあたたかく受け入れてくれたのではないかと感じたそうです。

次の写真は佐保さんが授業用サンプルとして作った手編みのニットの国旗を持ってポーズを決める職場の同僚たちだそうです。(佐保さんは現地の服飾系職業訓練校のボランティアでした)


憎んでいる国の国旗だったらこんな表情で一緒に写真に写れませんよね。

【補足】
もちろん、フィリピンのすべての人が佐保さんの周りの人のように日本人のことを好きでいてくれているわけではないでしょう。しかし、過去の関係を乗り越えて今日の関係が築かれているということはぜひ知ってもらいたいと思います。
なんとなくの情報に惑わされず、これをきっかけにして過去の出来事への関心を持ってもらえると幸いです。


語り手/写真:佐保好信(さほよしのぶ)
活動時期・形態:2011-2013 ・青年海外協力隊(服飾)
聞き手/編集:糀広大

2016年8月26日金曜日

トコロ変われば…

地域:アフリカ
国:ガーナ
テーマ:死生観、文化の違い


これが何か分かりますか?


じゃあ、もうひとつヒントを、


これでどうだ?なんだこれは?


答えは、西アフリカのガーナの棺桶です。
ちなみに最後の写真の棺桶は「アリ」の形なんだとか。
亡くなった方が生前の「職業」や「好きだったもの」、「憧れていたもの」などをモチーフにして棺桶を作るそうです。
棺桶の撮影をしていたら棺桶職人さん(生きている)が「こうやって入るんだよ」とデモンストレーションをしてくれたようです。

こういった棺桶は値段が高いので、お金持ちにしかなかなかできないそうですが、なかなか衝撃的な文化ですね。

ちなみに、葬式の時は村の人が集まって陽気にダンスをするそうです。
また、亡くなった方のグッズ(Tシャツやステッカーなど)販売も行われるそうでまるでミュージシャンのライブ会場みたいですね。
写真は亡なった方のプリントされたTシャツを着ている姿です。


ところ変われば死生観も変わる。
ふざけているように思われるかもしれませんが、亡くなった人への思いがなければこんなことしませんよね。
日本式、ガーナ式。
あなたはどっちのお葬式が好きですか?

【補足】
三浦さんが直接見たわけではないそうですが、他の地域のボランティアをしていた知人から聞いた話では亡くなった方を電飾で飾ってクリスマスツリーのようにしている葬式も見たことがあるそうです。大がかりな葬式をする場合は亡くなってから葬式が行われるまでに半年近くかかることもあるらしく、その間は遺体の腐敗を防ぐために冷凍保存されるそうです。
ガーナはキリスト教とイスラム教、そして伝統的な宗教が混在しているので宗教によっては上に書いたようなことはありません。

【ポイント】
他国の文化は、正しい/正しくないと論ずる類のものではなく、考えるきっかけとして非常に面白いものです。
もし、子どもから「おかしい!」といった意見が多く出るようであれば、日本の場合でもお通夜というものがあること、そこでは亡くなった方との思い出話でお酒を飲んだり、笑ったりすることなどを挙げつつ、方法の違いはあれども、「死者への弔い」という意味では大きく変わらないんじゃないか?といった問題提起をするのがいいかもしれません。

語り手/写真:三浦菜津子(みうらなつこ)
活動時期・形態:2012-2014 ・青年海外協力隊(PCインストラクター)
聞き手:糀広大

2016年8月25日木曜日

子どもの死を前に思うこと

地域:アフリカ
国:ニジェール
テーマ:死生観、援助の在り方、医療、伝統文化


この写真を見て気づくことを教えてください。
(どこでとられた?どういう状況?誰が写ってる?などなど)



これは、マラリア(蚊を媒介に流行する感染症)で亡くなったニジェールの子どもの写真です。マラリアは世界の半分ぐらいの国で流行していて、年間に2億人以上がかかり、200万人程度の死亡者がいます。


写真を見て、世界で多くの人が亡くなっていると聞いてどんなことを考えましたか?
おそらく多くの人が頭の中で、

「なんとかしなきゃ!」「助けたい!」
と思ったんじゃないでしょうか?

その思いは自然だと思います。
そして、だからこそ多くの国や団体、企業などが様々な方法でマラリアの多く発症する地域の支援をしています。


しかし、実際に感染症対策のため、ニジェールで国際ボランティアをしてきた阿南さんは今でも「国際協力は本当に必要なんだろうか」と考えるそうです。

厳しい環境の中を生きる人々は、信仰を守り、生も死も受け入れて、幸せそうに笑って生活をしていたそうです。

「死にゆく人を助けたい」という援助する側の思いと、死を受け入れつつ「前向きに生きている人々」というあまりにも矛盾する価値観を目の当たりにした阿南さんならではの考察に思わず私も唸ってしまいました。

みなさんはどう感じますか?
自分ならどう感じるか。行ってみないとわからないことかもしれませんね。
実際にいつの日かいってみてはどうでしょう?
今にも落ちてきそうな満点の星空、静まり返った砂漠の夜。
ニジェールの「豊かさ」をあなたも発見できるかもしれませんよ。


【補足】
子どもの死というショッキングなトピックなので、感情を抜きで考察をするのが難しいかもしれません。「そんなの絶対だめだ」という一方的で感情的な価値観に終始するのではなく、現地の人の思いや考えに「寄り添う」ような想像的な話の展開をしたいところです。
「医療:死を受け入れられない」「宗教:死を受け入れている」などといったリフレーミングをすると違う意見が出るきっかけになるかもしれません。

語り手/写真:阿南栄子(あなんえいこ)
活動時期・形態:2008-2010 ・青年海外協力隊(感染症対策)
聞き手:糀広大

2016年6月9日木曜日

頭かくして…

地域:中東
国:バーレーン
テーマ:イスラム教、伝統文化、文化の違い、民族衣装

この写真はどこで撮られたものでしょう?



中東にあるバーレーン王国の在外公館で働いていた高木さんが友達の部屋に招待されたときに撮影したオフショットです。

「ちょっとまって!」

写真を撮ろうとすると彼女たちは慌ててヒジャブ(顔を覆う布)を被りました。
(イスラム教の多くの国では女性は男性と同席する場ではヒジャブを着用します)

「えっ女性しかいないよ!なんで被るの?!」

高木さんが尋ねると、彼女たちは口をそろえて、
「現像する人が男性かもしれないじゃない!」

おもしろいですね。

ヒジャブ(国によって他の呼び方をする場合もある)の着用方法も実はひとつではありません。たとえば、バーレーンのように髪を覆い隠すだけの国もあれば、目しか出さない国や、なんと目も薄い布で覆い隠す国もあるそうです。
そもそも、着用する理由はなんなんでしょう?
興味をもったらぜひ調べてみてくださいね。

※もし、大人になってみんながイスラム圏に旅行をすることがあったら写真を撮るときには気をつけようね。
【おまけ】
似たような話ですが、バーレーン王国の結婚式では披露宴も男女別。女性披露宴に出席すると参加者はみなヒジャブを脱いでいますが、新郎新婦入場のアナウンスが流れると大急ぎでヒジャブを被るそうですよ。
日本人から見ると暑そうなヒジャブですが、実は快適な夏用のものなどもあるんだって。


語り手/写真:高木美奈子
活動時期・形態:2004-2006 ・在外公館派遣員
聞き手:糀広大

2016年5月28日土曜日

ブラジルは近い国?遠い国?

地域:中南米
国:ブラジル
テーマ:日系社会、海外移民

さて、この2枚の写真を見てください。4人の中で誰がブラジル人でしょう!?
(どうしてそう思ったか、選ばなかった人はどこの人かなどの質問をしつつ深めます)



正解は全員ブラジル人です。
ブラジルには肌が褐色系の人、目が青く金髪の人、私たち日本人に似たような人が住んでいます。

さて、もう一度この写真をみてください。


右の女の子、見れば見るほど日本人顔ですよね。
また、次の写真もブラジルで撮影されたものです。


左上は?(玉入れ)
その下は?(雛人形)
その横は?(鳥居)
その上はちょっと見えにくいですが、日本の食品(カレーのルーなど)が並んでいます。

日本人っぽい女の子がいることや、たくさんの日本の文化がブラジルで見られることは、今から100年以上前(1908年)に始まった日本人によるブラジルへの移民が関連しています。

当時の日本は大変な食料不足で、仕事もあまりありませんでした。仕事を得るために船で3ヶ月かけてブラジルまで渡り、日本とは異なる言語や習慣の中、移民当時はコーヒー農園での労働や、未開拓な荒野の開墾に精を出しました。

2015年現在、ブラジルでは約160万人(公益財団法人海外日系人協会参照)の日系人が生活し、今日まで日本語や日本文化が継承されて来ました。町の中には鳥居や日本語の看板、スーパーには納豆やお味噌、そして盆踊りやカラオケ大会など日本の行事を、あちらこちらで目にします。更には日系6世まで誕生しています。

また今日では、静岡県や神奈川県、群馬県などの企業でも多くの日系ブラジル人が働いており、ブラジル料理のレストランやカーニバルなど日本でもブラジルの文化を直接味わうことができます。

どうですか?ブラジルが身近に感じられませんか?
関心を持ったら是非ブラジルや移民のことを少し調べてみてください。

【追記】
面白いことにアフリカ系の人は主に北部(暑い地域)に、ヨーロッパ系やアジア系の人は主に南部(寒い地域)にと、もともと住んでいた地域の気候と似ている州に住んでいるようです。

語り手/写真:福永みゆき
活動時期・形態:2008-2010 ・日系社会青年ボランティア(日本語教師)

2016年5月18日水曜日

平均年齢

地域:アジア
国:カンボジア
テーマ:戦争、紛争、虐殺、共産主義、少年兵

この写真をみてください。
何の写真でしょう?



河野さんがカンボジアでボランティア活動をしていた時に職場(職業訓練校)の先生、生徒と撮影したものだそうです。
何か気づくことはありませんか?

写っている人の年齢は何歳ぐらいだと思いますか?


カンボジアの国民の平均年齢はなんと23-24歳だといわれています。
(日本は45歳ぐらい)

職場ではなく、国民「全体」の平均年齢です。
どうしてだと思いますか?


カンボジアでは、40年ほど前にポルポトによる軍事政権(クメールルージュ)に支配された時代がありました。
医者、教師、看護師、僧侶、芸術家、歌手、踊り子などなど少しでも知識や技術を持つ人間は片っ端から殺されました。また都市部で眼鏡をかけている、外国語を話したというだけで知識人とみなされ次々に殺されました。正確な人数はいまだに判明していませんが、200-300万人、実に全国民の3分の1から4分の1がポルポト政権下で殺害されたといわれています。
多くの大人が殺害されていき、残ったのは多くの子どもたち。子どもたちは洗脳され多くが兵士やスパイになり、政権を支えました。
このような状況は政権が終わるまでの4年間続きました。

映画の中の話ではなく、実際にこの地球上で起きたこと。
宇宙人なんかの侵略ではなく、人間が人間を大量虐殺したという歴史。
目をそむけたくなるような話ですが、胸に刻んでおきたい、おくべき話です。


【話し手による補足】
※実施にあたって知っていてほしい背景知識

カンボジア内戦を引き起こしたポル・ポトは、「全民・全農主義」という思想を持っていました。それは究極の平等主義です。
今、日本はお金持ちもいればそうじゃない人もたくさんいます。それはいいことですか?
ポル・ポトはそれをとても不平等であると考えました。政治家も農民も平等に「畑を耕し、自分が食べるものは自分で作るべきだ」という思想を持ち、政権を勝ち取りました。
不平等を正し、よりよい社会が実現する!と村人たちが思っていたら、ある日、カンボジアの各家庭にいきなり軍人がやってきて「みんな家の外に出ろ」と広場に村人を集め、子どもと大人を引き離して別の場所へ連れて行きました。
なぜ、子どもを大人と引き離したか、わかりますか?子どもは大人と違い、いろんな経験をしていません。
「人を殺してはいけない」ということは当たり前のことです。でも、小さなころから「政府の意見と違う人間は殺すべきだ」という教育を受けたら、どうなると思いますか?良識のある大人(親)が周りにいたら「それは違う」と制止できたかもしれませんが、親と引き離され、「教育」を施された子どもたちはまんまと立派な政府のスパイや暗殺者になってしまいました。中には、自分の親や親類を殺してしまった人もたくさんいます。
内戦が終了したのち、カンボジアは少年兵として育ってしまった子どもたちに再教育をしようとしました。今まで「人を殺していい」といわれて、親まで殺した子どもたちがすんなり受け入れられたと思いますか?子どもたちは混乱し暴れたといいます。
また、カンボジアで生き残った知識層も数が少なく、再教育は非常に困難でした。
カンボジアの政府は内戦時に海外へ亡命した知識層を大臣クラスで呼び戻したいと要請しますが、親兄弟や親類を殺されている人たちばかりで「親の敵の為に働きたくない。特に少年兵の再教育なんてもってのほか」とカンボジアへの帰国を拒否しました。
こういった背景から、カンボジアの復興にはとても時間がかかっています。
*ポルポト時代に少年兵だった子どもたちは、現在40代です。立派にカンボジアを支えていますが、そのころのお話は禁句です。

【おまけ】
現在、カンボジアの町は若者と子どもが非常に多く活気に満ち溢れています。日本は静かで、住宅地に幼稚園を建設するというだけで子どもの声がうるさいと反対運動までありますよね。カンボジアは基本的に騒音に寛大です。子どもの声を騒音としてとらえるなんて日本は音に敏感なんだなぁ、と思います。

語り手/写真:河野菜津子
活動時期・形態:2007-2009 ・青年海外協力隊(織布)、2009-2011・カンボジアのスタディーツアーなど、2012-現在・カンボジア教育支援プロジェクトなど
聞き手:糀広大

【クイズの答え】
※FBから飛んできた方へ



答えはC.E.I.Kの四人でした。(Cは河野さん)
あっていましたか?
私は、先生も生徒も若すぎてわかりませんでした。

ちなみに、次の二つの写真は全員先生だそうです。


2016年5月9日月曜日

大人の階段

地域:アフリカ
国:セネガル
テーマ:文化の違い、伝統文化、通過儀礼

今日は西アフリカにあるセネガルという国の話です。
みなさん、セネガルという国を知っていますか?

さて、この写真を見てください。
セネガルで撮影されたものです。
気づくことはありますか?
(何をしているのか、どこにいるのか、この後なにが行われるのかなど)




実は、このあと彼らは身体のある部分をちょんぎります。
ヒントは・・・全員男の子です。
さて、どこでしょう。

正解は、「ちんちん」です。
ちんちんの皮の一部を切り取ることを「割礼(かつれい)」と呼びます。
だいたい、10才前後になると行われ、早い子だと3才ぐらいで、遅い子だと15才ぐらいで行います。

「うぎゃーーーー」
って思った人、そうです。セネガルの子どもたちも割礼をするとき「うぎゃー」と叫ぶのだそうですよ。
「うぎゃー」っと叫んで手術(?)が終わると、白装束に杖をもった姿で村を歩き回り、周りの大人たちからお祝いとしてお金などをもらいます。

なぜお祝いをもらえるかというと割礼をすることが、大人になることを意味していて、子孫繁栄のための第一歩なんですね。

話を聞きながらぞっとしたかもしれません。
アフリカの野蛮な風習で、そんなことをしない日本が多数派(普通)だよ!って思いましたか?

日本ではあまり一般的ではない割礼ですが、実はかなり多くの国で行われています。
ちなみにアメリカでも6割程度の男の子が生まれてすぐに割礼をするようですよ。

セネガルの病院で働いていた山田さんは子どもが割礼を行うたびに部屋から「うぎゃー」っと叫ぶ声を聴きながら「割礼をすることにおどろいている」と村の18歳ぐらいの青年に伝えたところ、その青年は不思議そうな顔で次のように答えたそうです。

「えっ!じゃあ日本ではどうやって子孫を残すんだ?」

割礼文化の背景として宗教的なものだけでなく、衛生面のため、子孫繁栄のためなど様々な理由が言われていますが、古くはエジプトの壁画にも残っている割礼の風景。多くの国では「普通のこと」なのかもしれません。

【合わせて面白い話】
他にも、人口の9割以上がイスラム教のセネガルではラマダーン(断食)が行われています。日本人にはなじみのない断食ですが、発育への影響を考慮して、実は子どもの頃から大人と同じようにするわけではなく、大きくなるにつれ少しずつ実施しています。
初めて大人と同じ期間断食ができた時の子どもの表情はそれはそれは自信に満ちているそうです。
「やったーーーー!大人になったぞーーーー!」
彼らにとって断食も一つの子どもから大人への通過儀礼といえるのかもしれないですね。
【実施上の注意】
性的な内容を含むので扱い方については自己責任でどうぞ。

語り手/写真:山田直之
活動時期・形態:2011-2013 ・青年海外協力隊(村落開発普及員)
聞き手:糀広大